不登校だった頃の話
なにも言わないという優しさ
同じ痛みを通った者だけがわかるもの

「海野先生になら言いたい・・・って」
「なぜか私にだけ話してくれることが多くて 」
そう言って、戸惑いながらも話してくれたのは
去年の春、うちの古本屋を卒業して中学校の先生になった女の子だった。
何かしらの問題を起こしたり、教室に通えなくなってしまった子が
なぜか自分にだけは特別に色んなことを打ち明けてくれることが多いのだという。
「たぶんですけど、闇と闇が引き合うんだと思うんです」
「よかったな〜って、闇もってて・・・」
こんなものが無駄にならないことがあるんだって
正直、今、驚いてます。
そう笑いながらお酒をかき混ぜる彼女の顔には
一年前にはなかったものが流れているように見えた。
この人なら大丈夫かもしれない

この人なら大丈夫かもしれない・・・
そう、その子達が思えた感覚というのは
彼女を見ていると何となくわかるような気がした。
というのも私も昔、そうゆう大人に救われたことがある。
中学3年生の冬。
みんなが登校しきった後の学校にコソコソ忍び込んでは
誰にも見つからないように保健室へと忍び込んでいた。
コトコトコト・・・とできるだけ音を立てないよう入り口の扉を開けると
「お〜、おはよう、はなお〜」
と当時の保健室の先生が眠たそうな顔でこちらを見る。
私はいつも何も言わずに会釈だけ返すと
置いてあった水槽の中をただひたすら眺め続けた。
水槽を眺めるだけの日々

水槽を眺めていると、いつも途中で涙がでてきた。
シーンとした保健室にはいつも私が鼻をすする音と先生がキーボードを叩く音だけが響く。
先生は、はいっと温かいお茶を出してくれることはあっても
どうしたの?とは聞かなかった。
何も言わずに、ただただ自分の仕事を淡々とこなす。
でも意識の中ではいつも寄り添ってくれているのがわかった。
そのことが、とにかく私の大事な部分を暖めた。
そうゆう寄り添い方もあるのだということを、私はその時初めて知ったのだった。
小学校5年生の冬

家に帰ると誰もいなかった。
共働きなので、いつものことだと思いテレビを見たり絵を描いたりして過ごしていたが
深夜1時になっても帰る気配の全くない両親に違和感をおぼえ
母の働いている喫茶店に電話をかけると
( 母は一人で小さな喫茶店をやっていた )
「ちょっと・・・今から来れる?」
と言われ、心臓が嫌な音を立てて鳴るのを感じた。
こんな夜中に一人で呼びだすなんておかしいと子供ながらに思ったのだった。
夜の坂道を自転車で走る

外に出ると風が冷たかった。
あれだけ普段からユーモアがあって、あっけらかんとしている母が
いつもとは違う人みたいな声をしていた。
とにかく早く行かなくてはと自分にできる全速力でペダルを漕ぎ
勢いよく店のガラス戸を押し開けると、入って1秒で母が言った。
「私たち別れることになったから」
なんで!
カウンターでうつむいていた父に駆け寄ると
「お前は悪くないよ」と言った。
なんで!なんで!なんで!
なんでしか出てこない。
何を言ってもお前は悪くないんだよ。
そう言われてしまうと私はできることがなくなってしまうから
それが怖くて叫び続けた。
私が悪くあって欲しかった。
私が何かを直せば済むようなことであって欲しかった。
でもどうやらそうゆう事ではないようだった。
後になってそこには、私の知らない事情があったことを知った。
月に1度は会えるはずだった

その後も父とは、月に一度は会えるはずだった。
それでも私は、父と会える日を何よりも楽しみにしていた。
次あったら何を話そうとか、何を持っていったら驚くかなぁとか
そんなことばかり考えて過ごしていた。
ただ半年くらいすると父は電話をかけても1回では出なくなり
留守電に入れても折り返しが返ってこなくなり
私は毎日、リビングで受話器を持ったまま固まっては
悩んでやめてを繰り返すようになった。
そして時が経つとともに少しずつ現実を受け入れはじめた。
あぁこれはもう、私が何かを頑張るとかではどうにもならないことなんだな、と。
そして、その日は来る

そんな生活が2年ほど経ったころ。
ある日、家に帰るとリビングに父がいた。
私はびっくりして母のところに行くと
「なんか帰ってきたいって言ってるんだけど・・・あんたはどう思う?」
あなたの気持ちを一番にするから、と真っ直ぐ言ってくれた。
一択だった。
「帰ってきて欲しい」
それ以外の何ものでもなかった。
そのようにして父は、私たちの生活に何事もなかったかのようにヌルッと戻ってきた。
でもその時はまだ気づいていなかった。
私の心はもう、自分ではどうにもならないほど深い所に
取り返しのつかないほど大きな穴が空いていた。
スポンサーリンク水槽の金魚が太りだす
毎日毎日、何度も水槽の金魚に餌をやっていると
少しずつふっくらしてきたような気がした。
教室に通えなくなったのは、いじめられたからでも勉強についてけなかったからでもなかった。
そこには恐らくいろんな要因が絡み合っていたが
その根底にはたぶん父のことがあった。
なんとなくわかっていたけど、誰に話しても無駄だと思った。
励ましたり前向きな言葉をかけたりされるくらいだったら
黙って一人で抱えている方が楽だった。
世の中には、そうゆうものではどうにもならない類の痛みがある。
一人で海に行ったこと

ぐずぐずと流れ続ける鼻水を、左の手の甲でぬぐっていると
「はなお、すごい、雪降ってきたよ」
と珍しく先生が手を止めて窓の外を見た。
近づいていってぼーっと一緒に眺めていると
「はなおはさ、一人で海行ったことある?」
と言って、先生は中学生に聞くとは思えないようなことを聞いてきた。
ない、と言う代わりに首を振ると
「私はあるんだけどさ、けっこういいよ一人で行く海って」
そういうと、昔、結婚を考えていた人に振られて
一人で海に行った日のことを話し出した。
それは明らかに、子供に話すような内容ではなかったけれど
同じ目線にたって、当たり前に昔の傷を打ち明けてくれたことが嬉しかった。
先生が生徒に対してでも、大人が子供に対してでもなく
人が人に寄り添おうとした結果そうなった、といったような感じ。
そのことが何よりも私の心を温めた。
一通り話し終えると先生は、内緒だよ〜と言って再び手元の仕事に戻っていった。
痛みからしか咲かない花

遅刻ばかりしていたのが嘘みたいに
どこかの子供にとって、なくてはならない存在になってしまった彼女は
きっとたぶん、あの頃の保健室の先生みたいに
黙って同じ深さに潜れる人なのだと思った。
正しい大人として、困っている子供を救ってあげるのではなく
傷ついたことのある一人の人間として、静かに隣に座れるような人。
時としてこの世界には、これがあったからこんな風に人に優しくなれました。
という美談では、まとめきれないほど残酷な瞬間というがある。
でも、そうゆうものを通ってきてしまった者だけが
同じ場所でうずくまっている誰かを見つけることができたりもする。
「なんかいい先生になりそう」
と私がいうと
「もうなってますよ」
と笑いながら話を逸らされた。
きっとたぶんこれからも彼女は
私の知らない場所で、昔の私のような
自分ではどうにもならなかったものを抱えてしまった子供たちの
最後の心の休憩所として
先生という人間をやっていくのだと思う。
