アプトの道で、熊が怖すぎて戻ってきた話
目次
廃線を歩ける「アプトの道」に行ってきた
予想外の恐怖を、味わったことはありますか?
先日、誰かが買い取ってきた大量の鉄道関連の古本を
パラパラとめくりながら、へ〜こんなところあるんだと軽い気持ちで見ていると
“ 廃線ウォーク ” なる、何とも魅力的な言葉に出会ってしまう。
「えっ廃線って、歩けるところあるんですね。」
と私がいうと
「あー、ほら群馬に有名なところあるじゃん・・・」
なんだっけな〜、ちょっと待ってね
と言って主婦さんが調べてくれる。
普通の主婦が、普通じゃないことを知っているからここの職場は面白い。
「あ、そーそーそー、アプトの道だ!知らない?」
知らなかった、でもほらと手渡されたスマホの画面には
もう行かない理由を探す方が難しいほどに
魅力的な世界が広がっていた。
と、いうことで有給を使って行ってみることに
カタンカタンと揺れる、現地へと向かう電車の中
ポインっ♩
と小学校の頃からの友達から通知が入る。
「何してるん」
「あ、今からアプトの道ってとこに行こうと思ってて」
「また変なとこ、どこだよ〜聞いたことないよ」
「なんか群馬にある、廃線の上を歩けるところらしくて」
「ちょっと・・・アプトの道って調べると“ 熊 ”って出てくるけど大丈夫?」
急に不安になる
えっ
と思い、すぐにGoogleで検索をかけると
アプトの道 熊 / アプトの道 ツキノワグマ
というワードが わらわらと出現。
うわぁ、、それは考えてなかった・・・
どうしよう、何の対策もしてきてないよ ( ´ ;ω;` )
急に一抹の不安がよぎる。
ま・・・でも、ここまで来ちゃったんだから
とりあえず、行ってみるは行ってはみることにしよう。
スポンサーリンク自分以外、誰も観光客がいない
そう思い、多少の胸の引っかかりは覚えつつも
せっかく来たのだからと、現地には行って見ることに。
歩きはじめて1時間。
自分以外に、誰一人として観光客を見ないことに
段々と小さな胸のざわめきを感じ始めたところ・・・
とんでもない景色に出会ってしまう

うわぁ・・・
どうしよう、これは、、、魅力的すぎる。。
なんて美しいんだ・・・
しかも涼しくて、気持ちい〜

ファ〜イ。
スーと息を吸うと、肺の奥までひんやりする。
吸う音が響くくらい音のない世界。
何でしょうか、こういう手入れされすぎずに
そのままそこに流れた時間の跡が残されている場所って
どうしようもない魅力を感じてしまうのは私だけでしょうか。。

あぁ、、壁に生えたコケがまたすごく良い・・・
こうゆう時間を味わえること以上の贅沢って
もはや、どこにあるのだろうかと疑問を感じるくらいには
熊の存在を忘れていた頃・・・
トンネルを出てすぐの橋に、こんな張り紙を見つけてしまう↓

・・・
おおお!
わすれていた・・・現実到来。
ふと前を見ると「ここからはもう何があってもあなたの選択です」
と言わんばかりの一本道が続いている。

これは・・・ダメだ、よくない。
そう判断した瞬間でした。
予想外の恐怖、ふたたび
せっかく来たのになぁ・・・こんなはずじゃなかった。
そんな予想外の展開と、どうにも抗えない熊への恐怖を感じていると
前にも同じようなことがあった日のことを思い出していた。
まったく予想もしていなかった恐怖。
それは今日と同じ、群馬へと向かう電車の中で起きたものだった。
遠距離恋愛の旅
当時、まだ大学生だった私は
世で言う、遠距離恋愛なるものをしていた。
1年ほどお付き合いしていたバイト先の先輩が就職に落ち
実家のある群馬へと戻ったことがきっかけだった。
1ヶ月に1回ほどのペースで
群馬と東京をお互いに行き来していた中で
その日は、私が群馬に向かう番だった。
すかすかの電車
出るときは、そこそこの満員電車で出発したものの
だんだんと彼の地元に近づくうちに電車内の人数が減っていき
気づくと車両には、私一人しか乗っていない
完全貸切状態の、のびのびした空間へと変わっていた。
小さな駅で扉がひらく度に、大音量のセミの声が車内へとながれこみ
その音をBGMにして読む重松清の「きみの友達」が
すごく良かったのを覚えている。
50代くらいの男性が乗車
本を読むのも少しずつ疲れはじめた頃
ぼーっと窓の外をながめていると
50代くらいの男性がペット用のケージを
大切そうに抱えながら乗り込んできた。
青いチェックのシャツを、薄手のジーンズに滑り込ませていた彼は
芸能人で言うと森本レオさんのような
柔らかい雰囲気をまとった、良きパパといった空気感だった。
大丈夫だよ、もうすぐだからね
やさしそうな雰囲気ではあったけれど
常にケージの中のワンちゃんだか猫ちゃんを心配していた彼は
「大丈夫だから、もうすぐ着くからね」
といって、何度も何度もその中を覗き込んでは優しく声をかける。
きっと、怪我だか病気だか、何かしらの不運があって
病院に連れていく最中なのかもしれない。
実家でずっと2匹の保護猫を飼っていた私は
どうしても他人事とは思えないような
個人的な感情がジワジワとわき
「がんばれ・・・」と表には出さないけれども静かに応援していた。
そこから1時間くらい経った頃
心の中では寄り添いつつも
あまりジロジロ見られても居心地が悪いだろうと思い
途中でもう一度、姿勢を正した私は
かばんからイヤホンを取り出し、再び読書に集中することにした。
1時間くらいたって、ふと首をのばそうとおじさんの方を見ると
なんとおじさんは、ケージからフランス人形の頭を出して
サスサスと優しそうに撫でていたのでした。
ぶわぁぁぁと、一気にそそりたつ鳥肌
その瞬間、信じられないほどの鳥肌が
まるで音を立てて全身にそそりたったのを感じた。
怖い。
何が怖いって、気づかずにずっと
同じ空間にいた時間そのものが一番怖かった。
たぶん、最初に気づいていたらそこまでではなかったのだと思う。
「気づかない時間」というのが当たり前にすぎていたことが
とにかく怖かった。
ただ不思議なもので、そうゆう時は
意外と冷静に状況見れるもので、いきなり席を立つのも変だし
様子を見て、良き時に自然に車両をかえることができた。
スポンサーリンク身をまもる時は本能
その時はどうしても
私とおじさんしかその空間にいない、といった特殊な環境や
ガラガラの車両の中で、おそらくあえて近くの席に座ってきたという
その絶妙な向こうの心理的距離感から
私の本能が、自分を守ために離れるしかなかったのだけれど
だからといって私は、そのおじさんを蔑んだり
化け物のように異物だと思ったりしたわけではなかった。
どちらかというと同志であり、同じ種類の人間なのだと思った。
現実世界を生き延びるために、自分で世界を作りだすしかなかった人。
ただそのやり方が、ほんのすこしだけ私とおじさんでは違う。
たったそれだけのことで、そこには普通も異常も存在しない。
予想外の恐怖は、なぜかいつも群馬から
熊もそうだし、フランス人形もそうだし
なぜだか私にとっての予想外はいつも群馬から運ばれてくる。
( なぜだ、なぜなんだ・・・ )
大人になるとどうしても、まだ起きてもいない未来のことまで
まぁこうなるだろうと、自分の予想の範囲内で見てしまいがちだけれど
本当はもっと、この世界は意外性で満ちているように思う。
自分以外の人や物事の方が圧倒的に多いこの場所には
きっと、本当はもっといろんな種類の「感動」が転がっている。
そしてそうゆう、もしかしたら心が動くかもしれない可能性の種
みたいなものを、一個ずつ拾っていく宝探しみたいなものなのだと
思って生きてみるとほんの少しだけ
日常が愉快に見えてくると個人的には思っている。
とはいえやっぱり、山に入る時は最低限の準備は整えましょう!
と、自分で自分をしっかりビンタしながら
今、Amazonで熊鈴とスプレーを見ている。
次の行き先はまだ、決まっていない。
