安部公房のカンガルーノートの【あとがき】が面白すぎた話

hanao

安部公房との出会い

本当の自分をわかってくれる人はいると思いますか?

「なにそれ?」

それはまだ、私が大学生だった頃のこと。

授業が終わり、駅までの帰り道を友達とタラタラ歩いていると

彼女のカバンから、一冊の文庫本が飛び出しているのを見つけたのが始まりだった。

「ん?あぁ、本だよ」

「なんの授業のやつ?」

「いや、自分のだよ」

「えっ、本なんて読むの?」

「うーん、まぁ、たまに」

・・・衝撃だった。

なにが衝撃って、その子はバリバリのギャルであり

どっからどう見ても本なんて読むようには見えなかったのだ。

「え、なに、面白いの?」

「うーん、面白いっていうか、気になる」

「どんな内容?」

「・・・人がビルから飛び降りたら、棒になるっていう」

「ん?」

「いやだから、人がビルから飛び降りたら棒になるんだよ」

「・・・?」

「いやだから、そうゆう本なんだよ・・・」

意味がわからなかった。

「どうゆうこと?意味わかないよ」

「私だって意味わかんないよ」

「なんて人?」

「アベコーボー」

その言葉は、なにかの呪文のように響いた

アベコーボー。

なんだそれ。

(・ω・)?

なんとなく引っかかり、その日、バイバイしたその足のまま

最寄り駅の本屋に寄ってみる。

あ、あった、アベコーボー。

なんか思ったより難しそうだな・・・

でもまぁこれなら薄いし、とりあえず読んでみよう。

そう思って手にとってみたのが、カンガルーノートだった。

読書におすすめの喫茶店「トロワシャンブル」

なんだこれは・・・

寝る前に少しだけ読もうと思い開いてみると

その違和感は1ページ目から駆け抜けた。

中年のおじさんが、朝起きてボーッと

トーストを食べながら、リビングで膝をポリポリ掻いていると

なんだか膝に違和感を感じ

ん?と見てみるとカイワレ大根が生えてるっていう。。

「いやだから、そうゆう本なんだよ・・・」

といった彼女の顔を思い出す。

どうゆう本だよ、、、。

と思いながらも思わず続きを読んでしまう。

おじさんは、これはただ事ではないと思い病院に行く。

病院で看護師さんに見せてみると

「これは・・・ちょっと見てみないといけませんね。」

みたな重大な空気をかもし出され、奥の部屋へと連れていかれる。

そこで初めてカイワレ大根を見た医者たちは

「なんだこれは・・・」と興味がとまらなくなる。

気づくとおじさんは研究対象として眠らされており

ふと目を覚ますと、自分の意思では起き上がれなくなっている。

その代わりに、なぜか横たわったままベットごと運転できるようになっていて

そのままベットに乗り、夜の街を一人で彷徨うことになる。

意味がわからない

結局、最後まで意味がわからなかった。

なんどもなんども首をひねりながら

でもなぜだか最後まで読んでしまっていた。

そして、ここまで読んだならと

あとがきにもサッと目を通してみようとめくってみたところ

そこで忘れられない一節に出会ってしまう。

暗い照明って落ち着きませんか

ドナルド・キーンのあとがきがすごかった

すべての小説家が文学作品を書く時、自分の体験を生かすということは知っていたが

現代日本の小説家の中で一番自分の体験や自分の感情を隠したのは安部さんであった。

例えば、どこかの町へ行って取材した場合でもどこの町であったかなるべく伏せることにしていた。

又、自分の体験を何かの形で書いた時でも、どんなに感動したとしてもそれを伏せた。

安部さんは決して冷い人間ではなかったが、多くの作家が自分の感情を誇張した形で小説に盛り込むことに反して

はにかみ屋だった安部さんは、自分の深い感情の周囲に数多くの壁を建て、壁の中に隠されている自分を発見できる読者を待っていた。

カンガルーノート「あとがき」p241

・・・えっ

本当にそうかもしれないと思った。

だいたいの作家さんなり表現者は、どれだけ丁寧に隠していても

「わかって欲しい、すごいと思って欲しい」

といった、自分自身の欲のつぶみたいなものが作品の中に残る。

それ自体はけして悪いことではなく

人間なら本来、誰しもが持っている当たり前のものであり

そもそも表現とは、そういう側面がある。

でも、安部さんは相当の恥ずかしがり屋だったから徹底的にそれをさけ

本当の自分の周りに、いくつもの壁を立てて隠した。

だから一見すると、何が何だかわからない。

(そうだ!「壁」と言う小説も書いてましたね)

けれど、何千何万といる読者の中で

もしかしたら1人くらいは、そんな壁の中の本当の自分を

見つけ出してしまうような人間がいるかもしれない・・・

そして、もしかしたら彼はそこに、こっそり希望をもっていたのではないか。。

そのようなニュアンスとして、私はそれを受け取った。

ちょっと待って、可愛すぎる・・・

ロイヤルミルクティ( 750円 )

もちろん、本当のことは誰にもわからない。

でも、もし仮にそうだとしたら・・・

なんて可愛らしい人なのだろうと思った。

と言うよりも、人間ってもしかしたら

本来は、そうゆう可愛さから出来ているのかもしれない。

「もっと見てほしい」

「もっとわかってほしい」

「あのね俺って、私って、すごいんだよ〜?」

たったそれだけの生き物 (・ω・)ノヤア

ただ、大人になるとその出し方がみんな違ってくるから

その好みみたいなもので相性が決まるのかもしれない。

上手く出せないという奥ゆかしさ

伝票の裏に嬉しい一言が・・・

本当の自分を、思わずサッと隠してしまうような人に

私はなぜだか昔から惹かれてしまうようなところがある。。

どうせわかってもらえないと思いながらも

ちょっとだけ人に期待してしまったりする矛盾も含めて

そうゆうところに、品や色気のようなものを感じる。

そういえば図書館で働いていた時、返却された本の中に

こんな言葉を見つけてしまったことがあった↓

「理解されっこない」ようなことに、

理解されるかもしれない「取っ手」を見つけて、

よその人に持たせてみる。

ふたつめのボールのような言葉。(糸井重里)

ううう・・・

わかる・・・すごくわかるし

この切なさをこんなにも可愛らしく数行で表現されてしまったことに衝撃を受けた。

そして返却ポストの前でこっそりメモして後日購入。

( ちゃんと仕事しましょう。)

今日もどこかで、元・子ども出身の大人たちが

どうせ理解されっこないと思いながらも

「もしかしたらこの人なら・・・」

とちょっとだけ希望をもちつつ

大事な部屋へと続く扉の取っ手を、持たせてみている。

サッ( ´ ・ω・ )ノ🚪   

トロワ・シャンブル

〒155-0032

東京都世田谷区代沢5丁目36−14 湯浅ビル 2階

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書いている人
はなお
はなお
非日常ハンター
こんにちは、非日常ハンターの、はなおと言います。

普段は、古本屋で働いています。

いつもとは、ちょっと違った感覚になれるような「非日常」が大好きで、実体験をもとにこのブログを書いています。

同じような感覚の方と繋がれたら嬉しいです。

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